DNA違っても親子関係の不存在を認めなかった最高裁判決が意味すること

一昨日、DNA鑑定の結果と親子関係に関する最高裁判例について書きました。
今日は、この判決の結果がもたらすことについて分析をしてみたいと思います。

抽象的に、血縁がない親子関係を認めるのが正しいかどうか、といっているだけでは、この問題の難しさは見えてこないので、弁護士らしく、個別の紛争を想定していきましょう。

まず、親子関係が認められるということは、扶養の義務が生じる、つまり養育費の支払い義務が生じるということを意味します。面会交流の権利も問題になるかもしれません。
更に、相続権を得るということも意味します。もちろん、親子というのは、上の問題もあるのですが、実際の接触とは切り離して法律上の親子関係を認めるということを考えた場合、この3つが問題になります。

また、次に考えなければいけないのは、それぞれの立場でしょう。基本的に考えないといけないのは、親子関係を認められた父親の立場(長いので、法律上の父といいます)、そして、この立場です。その他にも、母親の立場、実の父親の立場、他の親族の立場、というのも考えられます。

そして、この判決の実益は、嫡出否認の訴えができない時期に、親子関係が否定できるかどうか、という点です。そこで、①請求権者でない人が請求したい場合②期間制限を超えて請求したい場合 の②つが問題になります。

まず、請求権者でない人が請求したい場合、というのはどんな場面が考えられるでしょうか。1つはまさに、最高裁判例で問題になった場面。つまり、母親側から親子関係を否定したい場合です。
最高裁の判例の事例のうちの2つでは、法律上の父と離婚後、実の父と再婚しました。実際の養育は、母親と実の父親とが行っています。私が新聞で見たものでは、1歳2ヶ月の時に法律上の父とは離れ、現在は7歳位のようでした。しかし法律上の父は、(おそらく年齢的に次の子が望めない状態なのもあると思うのですが)この子の父親だと言いはりました(もっとも、生き別れになった時点で嫡出否認はできない時期だった模様ですが)。
このケースの場合、実際に実の父と育てられていますし、法律上の父と生き別れたのは、物心付く前です。確かに、法律上の父が面会交流をしたいという気持ちは分からないでもないですが、法律上の父以外の立場、とりわけ子どもの立場から見た場合、法律上の父が戸籍上の父で在り続けることは、たしかに害悪でしかないでしょう。

ただ、一方で、中学生くらいまで育てた後、再び夫婦仲が悪くなり、離婚したという場面を考えてみましょう。この時に、実は自分は本当の父親ではなかったと言って、養育費を支払わないと言い出したということになるとどうでしょうか?
いかに血縁がないといえども、一度は父親としてやっていくつもりだったにもかかわらず、無責任と言われても仕方がないのではないでしょうか。このような訴えを許すべきではない、との考えから、嫡出否認は期間制限があるとされています。その考え自体には一理あるでしょう。

更に、成人した後、父親が再婚して別に子どもを設けていたとしましょう。いわゆる遺産争いで、再婚相手やその子どもが、実は実の子どもではないらしいと気付いて、父親の意思とは全く別に、親子関係を否定しようとしたらどうでしょうか?

②の方はどうでしょうか。これで典型的に考えられるのは、自分の子供だと信じて育てていたが、途中で実は他の人の子だと父親が気付いた場合が典型例でしょう。父親の心境を考えると、確かに期間制限なく嫡出否認を認めるべきだということも考えられますが、何の罪のない子どもは、突然放り出されるリスクをいつまでも抱えることになります。

こう考えていくと、実際に認めるべき場面に限って、嫡出否認以外の方法で親子関係を否定する手段を認めようと思うと、非常にややこしい要件を設定せざるを得なくなります。実の父親が養育に協力しているかどうかを問題にするとか、1年では短いといえるかもしれないが、どのくらいの期間までは認めるべきかを判断せざるを得ないとかいう話になるわけです。ここまで踏み込んで最高裁が決定してしまったら、それは立法であり、三権分立に反することになるでしょう。
そうすると、今回の判決はある意味仕方なかったのかなあ、という気もします。

いくつかの新聞で、見直しの時期が来ているということに言及しているものがありましたが、上のような、いろいろな複雑な事情をうまくまとめる制度が要請されているという意味です。DNA鑑定の発達で、将来的に発覚するケースが増えてきてしまった結果、不当な部分が目立つようになってきているのは確かだと思います。
実際のところ、記者自身がどこまで理解して書いているのかも分かりませんが、少なくとも読者の方には全く通じていないでしょうねえ。

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