昨日のニュースになりますが、認知症男性がJRで事故死したじけんで、家族側が逆転勝訴し確定したという最高裁判決の報道がありました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160301-00000043-mai-soci
正直なところ、常識的な判断が出てほっとしているというのが正直なところです。
というのも、一般的な法律家の考え方だと、確かに監督義務が問題になり損害賠償請求が認められる事案も法律もあるのですが、基本的には、幼い子どもに関しての事例が念頭にあります。
典型的なのは子どもが傷害を負わせたとか物を壊したといった事例ですが、小学生ぐらいの場合には、ほぼ親の責任が認められます。一方で、15歳、16歳…と年齢が上がるにつれ、責任が認められにくくなっていきます。親の責任だといっても、だんだん言うことを聞かなくなっていきますし、体力も行動力もついてきますから、監督といっても限界があるわけです。それでもすべて親などに責任を取らせるというのはあまりに酷です。
したがって、結局は本人に請求するしかなく、資力不足で泣き寝入りということも多いのが現実です。被害者の立場になればやるせないということになるでしょうが、では、親族だというだけで不可能な監督を強い、全ての責任を取らせて良いのかといえば、答えはノーでしょう。制御できない子どもを育ててしまったということで、その人の問題のすべての責任を取るということを、自分が置かれたらどれだけ過酷かお分かりかと思います。
この判決の一審は、妻と息子に監督責任を認め、二審は妻にのみ監督責任を認めました。この判決は、法律家の感覚としては、むしろ極めて異例といえます。
亡くなった方は認知症の91歳だったとのこと。奥さんも85歳で、10分か15分程度のまどろんでいる間に飛び出し、事故にあったという事案でした。一方、長男は、20年以上にわたり別居していました。この事案で、どうやったらご本人を止められたでしょうか?普段から注意していても、完全に止めることなど不可能です。
しかもこの種事案では、奥さんや長男は、事故でご本人を失った最大の被害者でもあります。誰も好き好んで引き起こした事態ではないのです。病気で本人が制御不能というのは、一定数生じることであり、特に認知症については、医療の発展により、今後益々増えていくでしょう。一定数こういった悲劇が起こることは不可避であり、責任を取る人を探すのではなく、社会で許容していくしかありません。
公共交通機関においては、規模が大規模である以上、どうしてもこのような負担が不可避です。会社側に責任がないのはもちろんですが、社会的に不可避である以上、これを受け入れて経営をしてもらう以外にはないのだと思います。
問題は、こういう事態の加害者になるのは、必ずしも大きな会社や国というわけではないということです。これが夜間に幹線道路に飛び出してきて避けきれず一般の車の人がはねてしまった事案だとしたら、やはりその人に負担させるというのは酷だと私も思います。現状では、そういう可能性は皆にあるのだということで、任意保険で対応するということしかないと思います。
いずれにしても、悲劇は一定数不可避であることは間違いがなく、それを前提に社会を構築しなければならないのだと思います。