離婚で、離れた親と子どもが会うことを「面会交流」と言います。この言い方、ついこの間まで「面接交渉」といっていたのですが、何年か前に言い方が変わりました。

面会交流というのは、非常に難しい問題です。離婚のページで、父親は、離婚すれば子どもに会えるという面では非常にマイナスになる(母親が親権者になるのがほとんどの事案だということを前提にしています)といったことを書いていますが、順調に面会交流ができるケースというのは希で、仮にできるとしても月に1回、2回というレベルになります。

さて、昨日、こんなニュースが流れていました。
子供面会拒否で賠償命令 熊本 – 産経ニュース
http://www.sankei.com/region/news/150401/rgn1504010052-n1.html

面会交流させなかった母親、そしてその代理人に対し、20万円の損害賠償を認めたというものです。
少し前には、福岡で親権者の変更を認めた審判があり話題になりました。
いずれも、報道からは詳しい事情は不明ではありますが、私はいずれにも違和感があるのは事実です。

面会交流させなかったのはけしからん、というのは一理ありますし、だからペナルティを、と短絡的な結論を出すのは簡単ですが・・・。離婚する夫婦、そして子どもの関係で一面的にとらえるのは難しいですし、どちらが正しいと安易に決められない面があります。

というのも、これを徹底すると、元妻に、DV夫、モラハラ夫に接触する義務がある、ということにもなりかねないのです。

例えば引用した記事だと、子どもは2歳だったということです。2歳の子どもが1人で父親に会いに行けるわけもなく、母親が連れて行くか、家に迎えに来させるしかありません。
そうすると、顔も見たくないから離婚したはずの(全部がそうではありませんが、多数派だと思います)夫と、会うことを強要されることになります。
それが子どもに対する責任だ、と言われるかもしれませんが・・・。中には、DVから逃れるために、住所も教えず命からがら別居した、等という人もいるわけです。こんな人に子どもといってあうことを強要するのは、誰の目から見てもおかしいでしょう。
さすがにそのようなケースでは裁判所も理解を示すかもしれませんが、問題はモラハラと言われるケースです。モラハラのケースというのは、裁判所から見て、どっちが悪いか分かりにくい微妙なケースが多いのです。つまり、明らかに暴言ばかりの夫、というケースもあるのですが、少し口が悪いくらいで、必要以上に妻が神経質になっている、というようなケース、さらには、夫はごく普通なのに妻が精神疾患に近い状態で勝手に思い込んでいる、というケースまで色々です。しかし、元妻にとって、元夫は近づくと精神的不調を来すということに違いはありません。面会交流は大事ですが、精神的不調を来すリスクを冒してまでも元夫に接触しなさい、とは、私はとても言えません。

もちろん、面会交流は大事なことだとは思っていますし、妻側の代理人についた時は、「貴方にとっては嫌な相手でも子どもにとってはかけがえのない父親だから極力会わせてあげて下さい」「自分の父親がとんでもない奴だと思って育つことほど不幸なことはないから、子どもに父親の悪口は絶対に言ってはいけない」といったアドバイスをします。しかしだからといって、顔を見たくない相手でも子どもを預けに行かないといけませんとまではとても言えません。
逆に父親側の代理人になった時にも、「面会させてもらっても母親の悪口を言うことは絶対にダメ」という話はしますし、「どうやったら母親が会わせてくれる気になるか考えましょう」とも言います。
正直、うまく面会交流できないことも多いのですが、お互いがいがみ合った状態で無理矢理会わせたところで、子どもが気を遣う原因になるだけで、子どもにとっての実りがある面会交流には決してならず、父親の自己満足にしかなりません。面会交流は、親のエゴではなく、子どもにとって以下によい体験になるか、ということが大事だと思います。

こういう私の立場から見たとき、月2回の面会を合意した(これは、一般的な回数より多いです)ケースで、しかも子どもが2歳、という事案において、損害賠償を認めた、という判断には、疑問を持たざるを得ません。もちろん、情報があまりにも限定されているので、隠れた事情があるのかもしれませんが。

色々な考え方があると思いますが、私は、親の勝手で離婚する以上は、子どもにとって一番よい方法が何か、というのが真っ先に考えられるべきだと思いますし、次に大事なのは、お互いが無理のない範囲で何ができるかと言うことだと思っています。
損害賠償というペナルティで何とかしようというのはおかしいと思いますし、ましてやそれを理由に親権者の変更、というのは論外だと思います。